『舞台 死ねばいいのに』

 

原作:小説『死ねばいいのに』 京極夏彦
紀伊國屋サザンシアター 2列目上手寄り

新木さん(新木宏乗(アラキヒロフミ))で舞台化されると知り、早々に原作を読み終えたとき、「これを舞台化するのか~難しそうだな~」と思いました。

登場人物は常に2人
渡来健也と亜佐美の関係者
あまり動きはなく、基本2人の会話
渡来健也という主人公も解釈と脚本、演出次第でかなり振り幅がありそう

舞台をどういう風に使うのだろう?
中央にポツンと椅子とテーブルかしら?でも相手によってシチュエーションがかなり違う
ファミレスだったり、ひとり暮らしの女性の部屋だったり、ヤクザの事務所だったり・・・
で、こんな風に設えてありました。

セットの写真撮影は上演中でなければOK、SNS等にUPもOKです。

話しの展開は、ひとり暮らしの女性、亜佐美が殺された。彼女と生前4回会ったことがあるという渡来健也(20代半ばくらい?)が彼女はどんな人だったのかを訪ね聞くというもの。
6人の男女が登場するが、生前の関係者は4人、残り2人は事件担当の刑事に弁護士。
一人目 派遣先の中間管理職 亜佐美と肉体関係有り
二人目 隣の部屋に住み、同じ派遣会社に登録している女性 亜佐美に男を寝取られたと思っている
三人目 ヤクザの組員 亜佐美の情夫
四人目 亜佐美の母親 借金の形に亜佐美をヤクザに売った(このヤクザは三人目の上席)
五人目 事件の担当刑事
六人目 弁護士

新木さんは舞台を中心に様々な役を演じていて、殺すことをなんとも感じないような役もやってきている。なので今更人殺し役をやっても驚かないのですが、健也は私の中でわかりにくい男です。

健也は亜佐美を殺したのですが、それは亜佐美が「死にたい」と言ったからです。
わたしは自殺志願者を思いとどまらせることはしない派ですが、「死にたい」と言うから首を絞めて殺しました。には、進みません。
それは自分の中で損得勘定を瞬時にするからです。

では、亜佐美の希望を叶えた健也は?
彼は自信を学がないバカだと称する。確かに話し方や座り方などを見ていると会社員としてはやっていけないだろうなと判る。学校の勉強は出来なかっただろうことも判る。では、愚かか?と考えるとそうは思わない。
健也は相手に対して忖度しない。自分が思ったことをストレートに言う。なので相手は痛いところをつかれ、それが真実であるから怒りを発する。
それを何度か繰り返す。
「じゃあ自分はどうすれば良かったのか?」となる。
すると健也は「死ねばいいのに」という。
まるでそこに持っていくために巧み誘導しているようで、本人はそんな気はなくてもいつの間にか絡め取られているようで。
そういう点で健也は天才です。

健也は亜佐美のことを聞いてまわるが、わたしは健也ってどんな人なのと聞いてまわりたい気分です。

健也って、亜佐美の前にも殺しているんじゃないの?
最初の4人が「死にたい」と言ったら、殺したの?
というか、健也って、人なの?
関係者が作り出した妄想で実在していないんじゃないの?

「死ねばいいのに」というセリフ、本で読んでいる時はどんな言い方をしたのかは想像になる。
わたしが真っ先に浮かんだのは、ミュージカル「エリザベート」でトート閣下が言う「死ねばいい!」風。(これも演者によって高圧的だったり、妖しく誘う風だったりあるが)
トート風だったら、健也はサイコだなと思ったでしょう。
でも新木さんの「死ねばいいのに」は、演出も含めて普通でした。
普通というのは、会話の一部として存在していて、特に際立った演出があったわけではないということ。
一人目のときは呆気にとられたほどです。
それが六人目まで変わることなく、まるで「おはよう」「さようなら」「またね」という日常会話のごとく「死ねばいいのに」と言っていた。
だからこそ新木さん演じる健也がわたしをどんどん謎のループに引きずり込んでいく。

今回、千秋楽しか観ていないが、数回観たら観ただけ判らなくなったことでしょう。
まるで「漆黒天」のように。
そう思うと1回観劇で良かった。
この1回で受けた衝撃だけで健也に対してグルグルしよう。情報と印象が少ない分、自分なりの結論に辿り着けそうです。