『クリスマスの物語2023』

 

第1章 リーディング『外套』ニコライ・ゴーゴリ
第2章 パフォーマンス『長いクリスマスディナー』ソーントン・ワイルダー

サロンdeお芝居さんの公演を観劇しました。友人が参加しているご縁で昨年に引き続きの観劇です。
学生の頃、この手の小作品をよく観たものです。お値段が優しいのでお小遣いで生活している学生でも手が届きました。
何より好きな声優さんの本業の方を観られるチャンスでもあり、終演後に少し話しが出来たりして嬉しかったな。

さて、第1章は朗読劇
場所はロシア、時代は1840~50年くらい(作家が1852年没なので)の冬
役所勤めの卯建の上がらない小役人が主人公
修繕を重ねた一張羅の外套がついに寿命を迎える。(外套:冬物コートです。お客様で外套がなにか判らない方がいたとのことなので念のため)
安月給の主人公(アカーキイ・アカーキエヴィチ)は仕立屋に何度目かの修繕を依頼するが、もうムリだと断られ、新たに作ることを提案される。
生活するのがやっとな彼は新たに仕立てる余裕はなく、なんとか修繕で済むように持っていこうとするが修繕を重ねすぎた結果、ラシャ地もペラペラになっており、ここで手を加えると破けてしまうと再度断られ、渋々新たに仕立てることを承知する。
外套が出来上がってくるまでの数日間、彼は今まで感じたことがないような高揚を感じる。まるで伴侶を迎える前のような心持ちである。
そしてついに新しい外套が届き、袖を通してみると、柔らかく包み込み且つ暖かいそれはまさしく伴侶のような存在に思えてならなかった。
さっそく役所に出勤すると今まで彼に目もくれなかった役人達が声をかけてくる。しかも上司が自分宅でパーティを開こうとまで言ってくる。
彼は外套を新調したことで人生の春がやってきたかのようだった。
ところが春は長くは続かない。
上司宅でのパーティ帰り、数人グループの追いはぎに遭い、なんと外套を奪われてしまったのだ。しかも暴行を受けその場で失神。意識が戻り、警察官に事の次第を訴えるが相手にしてもらえない。(この時代のロシアは庶民の訴えなど聞いてくれなかったようだ。帝政ロシア末期、だから革命が起こるのだ。)
気の毒に思ったアパートの大家は伝手で夫が校長をしている女性を紹介してくれる。上に顔が利く人物からしかるべき地位の人物を紹介してもらい、そこからの口利きで問題提起しないと事が進まないのが当たり前の世の中なのだそうだ。
で、この女性の夫から警察に顔が利くであろう人物を紹介してもらい、アカーキィは尋ねていくのだが、そこでけんもほろろな態度で追い払われ、ショックのあまり真冬の街中を歩きまわったせいで肺炎を起こし呆気なく亡くなってしまう。
それで終わりではないのだ。
その後、夜な夜な男の亡霊が出るという噂がたつ。それも「俺の外套だ」と言って、外套をはぎ取ろうとするのだ。
そんな噂がたち初めて数ヶ月後、アカーキイを追い払った有力者は馬車で愛人宅に向かっていると、男の亡霊が現れ「俺の外套だ」と言って上等な外套をはぎ取ろうとする。恐怖に怯えた有力者は御者に行き先を自宅に帰させる。自宅に帰り着いた有力者は上等な外套をはぎ取られていた。
その後、男の亡霊は現れなくなった。

第2章はある家族のクリスマスディナーの移り変わりを1840年ころから1930年にかけて描いたもの
場所はアメリカの地方都市
キリスト教徒にとってクリスマスディナーはとても大事な行事なのでしょう。午前中、教会で聞いた説教に感激する老婦人と息子夫婦
新しく建てた自宅で迎える初めてのクリスマスディナーから始まります。
下手側から新たな人物が登場しディナーに加わる。中央後方に別の出口があり、そこは別の世界(死)への入口である。
ディナーテーブル上に飲食物はありません。役者さんたちはそこにワイングラスがあるかのように、または焼いた七面鳥があるかのように振る舞います。
息子夫婦に子供が生まれ、クリスマスディナーに子供の声が響きます。そのうち老婦人が死出に旅立ちます。生存している家族は舞台上から退場することなく、その場でショールをまとったり、白髪混じりのカツラを付けたりしながら老齢になっていきます。
原作のト書きにもここでカツラを装着とか指示が書いてあるのですって。テーブルには鏡がないからカツラを付けるの大変ですよね。わたしもカツラを使うので大変さがわかります。
話すキーを低くしたり、ゆっくりにしたりと工夫されて、20代から40代、60代くらいと人生を営んでいきます。
世代が代わり、かつて聞いたことがあるセリフを老齢の域に達した家族が言ったり、なんだかほっこりします。
新築だった家も古くなり、若い世代は建て直したいようですが、老世代は思い出が詰まっている家を取り壊すなんてとんでもないと思っているようです。
かつては上の世代に逆らうなんてあり得なかったのに、じょじょに若者たちは不満を露わにする時代へと移り変わります。
家族に戦死した若者がいましたが、あれは第一次世界大戦でヨーロッパ戦線に参加したのでしょうか。語られることはありませんが、時代的にそこかなと思います。

この家族は事業が巧くいき、教会に多額の寄付をしているので地元の名士と言ったところでしょうか。
最後の世代では事業を継承する家族はいなかったので、最終的に手放したかもしれません。
この最後の世代は4人兄弟(妹)で、長男は赤ん坊のころに死亡、2番目3番目は男女の双子、4番目は男
2番目が戦死
3番目の娘は結婚してニューヨークに住み、夫は事業を興してそれなりの生活をしていたよう。
4番目は東南アジアでアヘン売買している。(アヘンと限定していたかな・・・とりあえずその手の薬)

屋敷に残ったのは彼らの母親と親戚の老婦人
母親は娘と同居することになりニューヨークへ、娘としばらく同居したら帰ってくるみたいなことを言うが、屋敷は親戚の婦人に好きにして良いとも言う。で、けっきょく母親は都会生活が気に入ったようで、車いすでニューヨークを暴走しているとのことだった。
きっと彼女は老後を満喫できたのだろうな。
最後に残った親戚の老婦人が亡くなり、話しは終わるのです。


役目を終えた家もお疲れ様でした。おやすみなさい。